Taklamakan

ぐったりした日常の断片

一度は殺したかった親が死ぬということ/「グレーゾーン」の発達障害児のいま

 はじめに(⚠よく目を通してから本文をお読みください)

 この記事には、人が亡くなる直前から直後の話が詳細に書かれている部分また他人に詰問されたときに投げかけられた言葉を詳細に記述した部分、パニック状態と希死念慮に関する描写があります。そのような話題が苦手な方、精神的に余裕がない方、トラウマを抱えている方などは本文を読まずにブラウザを閉じることを強く推奨します。また、医療に関する専門的な知識のない素人が主観で書いた文章になります。正しい情報を求めている方にはおすすめしません。読んだ後の苦情やアドバイスは一切受け付けません。ご了承ください。

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コンテンツに自己を埋没させないで

コンテンツ=自分自身?

 コンテンツを自らのアイデンティティとして扱ってしまう、というようなことは、オタクを自認しているひとびとの子ども時代に起こったこととして珍しくないのではないかと思う。私自身もまさにそうだった。コンテンツと自己が癒着した状態に陥ると、コンテンツへの批判もまるで自分自身が批判されたように感じてしまう。

 しかし、その状態では批判や批評という行為を行うことは困難だ。なぜならコンテンツが自分自身となっているからだ。批評ができないということは、コンテンツ及び作品を客観視できない、ということにつながる。ひとたびコンテンツの批判=自分自身への批判という構図ができあがってしまうと、批判のひとつひとつが自身に突き刺さってきてしまう。それは「コンテンツを愛することへの苦しさ」につながる。そこから抜け出すには時間も労力もかかる。

 コンテンツと真に向き合うことは、コンテンツと自己を切り離すことができてからはじめて成立する。誠実さとは、無批判であることでも、盲信的であることでもない。むしろ批判的な姿勢でいなければ、作品にとって失礼なことだと私は考えている。この世に完璧なコンテンツなど存在しないのだから。

コンテンツをひとつの人格のように捉えてはいないか

 また、コンテンツの分解ができていないと推測されるケースを見ることがある。特にアニメーション作品では広報・グッズ制作・雑誌等の描きおろしビジュアル制作などおそらく全て違う管轄で行われているが、同一視しているケースがあるように思う。やはりその場合も、コンテンツと自己の癒着が同時に発生していることが多いと感じる。

 そして、コンテンツとファンダムを同一視してしまうことも、同じく「苦しさ」の一因になるのではないだろうか。「民度」ということばが使われることがあるが、それはまさにファンダムをコンテンツの一部とみなしているからこその表現だと考える。参加型コンテンツだと特に、完全に切り離して考えることは難しいが、それでもひとつひとつの要素を分解してつぶさに見ていくことは可能だ。「ここは嫌だけど、ここは好き」ということが言語化できたならば、それは批評への第一歩だと私は思う。

コンテンツと自己の切り離し方

 ここからが本題だが、いかにコンテンツと自分自身を切り離していくか、ということについて、私は「自分自身のことばを持つこと」が必須であると考えている。なぜなら、私自身がそうであったからだ。論拠が弱すぎるだろ!ということは随筆なので勘弁してほしい。いま逃げ道をつくりました。とにかく、コンテンツそのものが自身のことばになっている状況を変えてほしいと思うのだ。そのために、「自分自身のことば」を獲得するのが方法のひとつとして挙げられると思う。

 私自身がおこなった方法は、「ミームやスラングをいっさい使わない」ということだ。これは「コンテンツと自己を切り離してやろう」と狙ってやったわけではなく、ただ「自分自身のことばで話したい」という気持ちが非常に強まったから、という理由で実践した。それは「言いたいことがあるのに言えない」というフラストレーションが爆発したことに起因している。たまたまそれが功を奏し、もろもろいい感じの方向に転がっていった。

 たとえば旧Twitterだけではなく、完全にクローズドな場で文章を書いてみる、ということからはじめてみると、ミーム漬けの脳みそから脱却する手がかりになるのではないだろうか。はじめはたぶん難しいけれど、慣れてくるとけっこう楽しくなってきたりもする。コンテンツの他者化というものを意識せずとも、あ、離れてきた、という感覚が得られるようになるかもしれない。べつにコンテンツの話をしなくてもいいし、たんなる日記を書くのもよいと思う。ただし自分のことばで書くことを忘れてはいけない。

 自分のことばというものは、きっと誰もがもっているはずだ。うまく出力できないだけ、あるいは忘れているだけで、人間という存在が肉体に依存している以上は完全に消えてなくなることはない。主観、自我というものが存在していることを思い出してほしい。それを忘れてしまうのは、きっと淋しいことだと思う。自分自身を埋没させてやらないでほしい。あなたはかならずそこにある。

2023年ふりかえり

 人生動きすぎワロタ、というのが正直な感想です。以前書いたけど、母が六月に亡くなって生活がめちゃくちゃになりました。おもに食生活が……。BMIがえぐいことになってる。助けて。最終的にnashという冷凍食品を配達してもらうことによって食ヤバスギ問題は解消されつつあるのだけれど。今日計ったら久々に40kgあってよかった(服着てたけど)。いかに食を母に依存していたか思い知った……。

 それでも、ほんとうに申し訳ないけれど、強制的に母との同居が(死別という大変不本意な形ではあるが)終了したことによって精神的に楽になった部分が大きい。好きな時間に起きて、好きなものを食べて、好きなことができる。平日、父は仕事なので家をひとりじめできる。そういった環境は私にとって安心をもたらしている。以前休学していたときは、どんなに遅くとも7時には叩き起こされて、家事の手伝いをして、ぐったりしながら再び布団に戻る、みたいな生活をしていた。そのうえ母の仕事の都合上、一階には常に人がいてトイレにも行きづらい状態だった。鬱のどん底にいる人間には非常に厳しかったと思う。おかげで休もうにも気が休まらないまま休学期間が終了した。現在、ふたたび休学をしているけれど、あ〜休まってる〜という実感がある。いままでの自宅は休める場所ではなかった、というのが嫌でもわかった。仕方のないこと、どうにもならないことではあったけれど、それでも「どうにかならんかったのか」という恨みのような感情は少しだけ残っている。せめてウィークリーマンションに泊まらせてもらうとか、そういうことができたらよかったな。なんだか、母が亡くなったのが遠い昔のことのように感じられる。いまの生活に慣れてきたということか。それはそれでさみしい気もする。

 もうひとつ個人的にでかいニュースがあったのですが諸事情によりお蔵入りとなりました。人生を考えるきっかけになったので、かなりよかったな〜と思います。精神をぶち壊してから過去イチ調子がいいので、このまま元気になりたい。急激に寒くなってどうなることかと思ったけれど、いまのところかなりいい感じです。復学したらがんばるぞ〜!!今年ってまだ一ヶ月あるけど書きたいときに書かないと一生世に出せないので、出しました。もしかしたら気が変わって年末に完全版が出るかもしれない。そのときはよろしくね。

部屋が汚ければ汚いほど、間接照明はその真価を発揮する



間接照明についてのぼんやりとしたイメージ

 間接照明は、私にとって縁遠いものだった。そもそも実家暮らしでインテリアに凝るということにも限界があるし、なにより部屋が汚い。最近は時間が有り余っているのでリビングだけはどうにか綺麗に保っているつもりだが、それでも体調が悪いときはぐちゃぐちゃにものが散乱する。間接照明といえば、「インテリア上級者が使うもの」という認識だった。しかし、その認識はもはや上書きされ、汚部屋でこそ間接照明を取り入れるべきだと考えるようになった。

間違えて間接照明を買ってしまった

 物撮りのためにデスクライトがほしいと思って、IKEAで照明コーナーを見ていたら、お洒落なスタンドライトを見つけた。「FLOTTILJ(フロティリェ)」という商品名らしい。

FLOTTILJ(フロティリェ)

https://www.ikea.com/jp/ja/p/flottilj-desk-lamp-beige-40552315/

 電球は別売りだけれどそれを含めても2000円でお釣りが来る。そのままライトを購入し意気揚々と家に帰ってみて組み立ててみると、眩しい。あまりにも。ノートに電球を向けると目が痛くなってくるほどビガビガに光っている。さすがにおかしくない?と気づいた私はいろいろググってみた。その結果、「この商品は間接照明である」という結論に至った。たしかに、店頭でいちばん明るくていいなとは思った。しかしそれはこちらが想定している使い方とは別の用途に作られていた。直接照明っぽいデスクライトと同じ棚に並べられていたし、サイズもかなり小さめなので気づかなかった……。というか公式サイトでも「読書や作業をしたいときはライトを下に」と書いてあるが私には眩しすぎた。後述するが、電球の明るさを最小のものに変更してもちょっと厳しい。比較的光を吸収しづらいと言われるブラウン〜黒色の瞳の人間でもこのありさまなので、本国スウェーデンの人々にとってはかなり厳しいのでは?と推測するがどうなのだろう。大きな傷などがなければ返品できるようなので、戻してこようか……と一度は思ったけれど、備え付けの照明を消して間接照明を壁に向けるとかなりいい感じの雰囲気だ。正直、居心地がいい。そこまで値が張るものでもないし、この子と一緒に過ごしてみるのも悪くないかもしれないと考え直した。

間接照明のあるただれた生活

 私はあることに気がついた。間接照明オンリーの部屋なら、散らかっていてもあまり気にならなくなる。なぜなら薄明るいので、物が散乱しているところに目が行きづらくなるのだ。もしかして、部屋が汚ければ汚いほど間接照明は真価を発揮するのではないか? それに、気分が下がってくる夕方にかけて、「電気を付けなければならないのに動けない→完全に暗くなる→寝る」という最悪の流れを防止できる。手元にスイッチがあるのは本当に大きい。それに、憂鬱なはずの時間があたかもリラックスタイムのように脳が認識して、かなり助かる。これから更に日照時間が短くなり、日没も早まるので重宝しそうだ。それはそうときちんと片付けたら片付けたで快適度は上がったので、わざわざ部屋を汚す必要はないです。間接照明ってハードル高い感じがするけど、IKEAのFLOTTILJ(フロティリェ)は実家暮らしでも導入できるサイズ感なのでおすすめ!ただ345lmの電球は六畳一間では眩しすぎたので、後日購入した、いちばん暗いと思われる230lmのものがちょうど良かったです。後者は3個セットでしか売ってないけれど、安いのであまり気にならなかった。ご参考までに。本体が光量調整できないタイプなので、電球が対応していても調整はできない。お気をつけて。

おわりに

 部屋がどんなに散らかっていようが、インテリアに関心がなかろうが、間接照明は誰でも取り入れていいグッズだ。もし何か言ってくる輩がいたら人の生活にケチつけんじゃねえと言って終わりだ。もしもこの記事を見て「間接照明つかってみようかなあ」と思ってくださったのなら、ぜひ一度取り入れてみてほしい。あなたの生活がよりよいものになりますように。

花が嫌いなので、造花を買う

 母が亡くなってからというもの、お供えの花束をもらう機会が何度かあった。もちろん、母を悼んでくれるその気持ちはうれしい。これに偽りはない。

 しかし、私は花が嫌いだ。正確には、生花を部屋の中に置くという行為が心底嫌でたまらない。そのうち枯れて処分することが確定しているのに、なぜ花を愛でようという気持ちになれるのかわからない。花壇や、自生している花を眺めるのはまだわかるけれど、わざわざ切り取ってきたものを部屋に置くなんてとんでもないことだ、と私は考えている。あと単純に、葉っぱの匂いが好きではない。(統計があるわけではないのであくまで主観でしかないが)世の中は花をもらうとうれしい、という人間が多数派のようだ。少なくとも、「花を贈る」という行為がおおむねポジティブな意味合いを持つ文化の中にわれわれは生きている。でもよく考えてみてほしい。いきなり生命を押し付けられるんだぞ。そんな暴力的なことがあってたまるか。日々濁っていく水、それを目にすることも不快だが水を換えてやらないわけにもいかない。花が咲いているうちはまだしも、中途半端にしおれているときは半分ゴミになりかけているものが部屋に存在することになる。まだ捨てるほどではない、明日か明後日かな、もうちょい保つかな、なんて考えるだけで嫌すぎる。花が部屋にあるというだけで、憂慮すべきさまざまな事項が増えていく。花そのものがタスクの具現化であると言ってもいい。

 これは幼いころの経験から来ているものだと考えられるが、鉢植えなどをもらった日には憂鬱で仕方がない。毎日外に出して、水をあげて、風の強い日には部屋に戻して、そんなことは私には不可能に近い。日々のタスクでいっぱいいっぱいなのに、さらに花の面倒を見ることまで加わったらおしまいだ。そのうち外に出しっぱなしで枯らしてしまって、あー枯れてるな、でも片付けるの嫌だな、ともやもやしたまま数週間過ごす、ということが人生に何度もあった。こんなことはごめんだ。悪夢に近い。どうかだれも私に花を贈らないでください。この文章を読んだなら、よくわかってくださると思います。

 先日、IKEAをうろついていた際に、花瓶のコーナーが目に入った。ガラスや陶器でできたものは好きだ、あまり変質しないから。もはや花はいらないから花瓶だけほしいと思っていたら、造花が山盛りに置いてあるではないか。生花は嫌いだが、花がモチーフになったものはかなり好きなので、こいつはちょうどいい、と小さな花瓶とカーネーションの造花を2本一緒に買って帰った。母は花が好きだった。それなのに花をいっさい供えていないのも不服かもしれないと思ったので、仏壇の前に設置した。花の長さが同じだとちょっと変なのでハサミで長さを調整した。思いのほか簡単に切れて驚いた。これなら、ときどき埃を払う程度でお手入れが済む。ありがとうIKEA。大好きだIKEA。そのうちうっかりミスで購入した間接照明についても詳しく書きたい。今日はここまで。

心の故郷がもうとっくに消え失せていたというはなし

Taklamakan(サムネ用画像 題字:吉海こすず)

 睡眠リズムが完全に狂っているので、午前三時に目が覚める。そのまま二度寝すればいいのに、スマホを眺めて完全に覚醒する。今日は曇りだ。階段の横にある小窓から外を見る。湿り気を含んだ土の匂いが鼻の奥を突き、安心したような気分になった。それは私の知っている田舎の匂いとまるきり同じだった。
たぶんこれから先あの場所へ行くことはない。行かないって決めたから。あの家はもう、私の居場所ではなくなった。

 私にとっての「こころのふるさと」は、東北の田舎にある祖父母の家である。小学生のころの夏休みといえば、田舎の家に泊まりに行くことがいちばんの楽しみだった。そこに二つ年上のいとこが来ると、もうそれ以上の喜びはなかった。子どもの二年というのは驚くほど有意な差で、いとこのことはずいぶん大きなお姉さんに見えたものだ。じっさい、今でもそう思っている。現在進行形で私にはとてもよくしてくれるし、気が利いて優しくてちょっぴり鋭角なユーモアをもつ、すてきなお姉さんだ。ファッション好きでメイクもばっちり、もしも同じクラスにいたとしたらひとことも会話せずに一年が終わるであろうタイプである。血縁関係があるというだけで、本来人生が交わりそうもない人間と付き合いが続くのは不思議だなあと常々思う。きっと彼女は四六時中Twitterを見ないし、いきなり思い立ってこんな記事を書いたりしない。些細なことでむにゃむにゃと何を言っているんだこいつは、と思うかもしれない。そんないとこと一日中寸劇をして暴れ倒したり、現地で知り合った友だちと遊んだりもする、贅沢な子ども時代が私にもあった。東京に帰る前日の夜には、毎度涙を流していた。この世の終わりだと思うほど悲しかった。きっと彼女も悲しかったはずなのに、泣くなよ、また会えるから。いとこなのはずっと変わらないから、と励ましてくれた。ほんものの絶望があるとしたら私にとってきっとあのときだと確信しているのに、どうしてか幸福な記憶として残っている。思い出補正とはこういうことなのだろうか。思えば子どものころの自分はひどく繊細で、そのくせ苦しみを言語化することは難しかったから、いろんなところで深い悲しみに暮れていた。絶えず引っかき傷ができ、ぷつぷつと赤い血が玉になって浮かんでくるようなものだった。大人になったなあ、と思うことの一つとして、むかしは悲しかったであろうことも特に何も思わなくなったということがある。いい意味で鈍感になったと思う。あのまま大人になっていたら、きっと毎日が苦しくてたまらない。まあ、結局べつのところで苦しんでいるわけなのだけれど。
なぜ、そんなふうに強い思いを抱いている家に金輪際行かないと決めたのか。それは、田舎の封建的な価値観に染まったうえに昔風の無意味な厳しさを与えてくる祖母と、ゆるやかに縁を切ることを決めたからだ。非情な人間だと思われるかもしれないけれど、断絶は深いのだ。もちろん祖母が悪人だとは思わない。しかし、説明したところで理解してもらえない相手とは距離を取るしかないのである。泥の中にいるような毎日に、怒声を浴びせられるのはもうじゅうぶん。たったそれだけのことで、私は祖母に愛想を尽かした。

 今年の元旦は祖母とふたりで過ごした。ほかの記事でも述べたように、私はうつ病を患っている。それを祖母に理解してもらおうとは思っていなかったのだけれど、よくわからない理由で毎朝怒鳴りつけてくる祖母に「頼むから怒鳴るのはやめてくれないか、自分はいま精神的に追い詰められていてそうされると苦しい」ということを伝えても余計に怒鳴られるだけだったのだ。私はもうしばらくこの家で過ごす予定を変更し、翌日に帰ることにした。私の説明不足は否めないところがあるが、もはや根気よく説明する気力も親切心もなかったのである。こちらの記事を読んでいただいた方には言わずもがなであるが、祖母は私の母の実母である。宣言通り私は次の日の朝、高速バスに乗って帰京した。祖母はなぜ私がいきなり帰ってしまったのかまったく理解できていないようだった。こんな田舎じゃつまらないかもしれないけれど、これに懲りずにまた遊びに来てね、なんて言っていた。懲り懲りである。二度と行かねえ。いとこも来ないし。彼女はときどき、祖母に対して反抗的な態度を取っていた。あのころから祖母の理不尽さを見抜いていたのだろう。私はぼんやりした性格だから、言い返すほどのことかなあと思いつつスルーしていた。彼女は高校生になったあたりからあの家に来ることはなくなった。単純に忙しかったせいもあるけれど、彼女もなにか思うところがあったのかもしれないと今更ながら邪推する。東北出身の祖父が亡くなったのにもかかわらず、縁もゆかりもない土地で一人暮らしを続けている祖母には申し訳ないけれど、あなたとは母の法事以外で会うことはないでしょう。叔母さんにぜんぶ任せちゃう。ごめんね。

 話は変わるが父方の祖母もなかなかに手ごわい。御年91歳で、二年くらい前から認知症が進行し「泥棒が家に入った」「あれがない」などとものとられ妄想が日常的に起こっている。最近になってようやくホームへ入居し、都内にある祖母のマンションにはだれも住んでいない状態になった。それまでは父と伯父が、介護士さんの来ない土日にかわりばんこで祖母に薬を飲ませに通っていたので、介護の負担が大きかった。もともとわがままな性格の祖母なので、父は疲れ果てているようだ。泥棒が入った、洋服をとられた、などと祖母が騒ぐたびにそんなわけないだろうと咎めている。認知症の人がうったえることを否定してはいけない、ということはきっとわかっているはずなのだけれど、父もまた自分の母親に対して愛想が尽きているのかもしれない。ときには伯父と父のふたりに否定されていて、不憫だ。かつて祖母や父が住んでいたマンションは老朽化が進み、いまのところだれも住む予定がない。場所はいいので、買い手はつくだろう。私だって住みたいくらいすてきな部屋だ。しかし、私にはどうにもできないことである。

 ついでに言うと私の住む家、いわゆる実家も消滅することが確定している。持ち家ではなく賃借している家だからだ。
「ふるさと」とは私にとって「『家』と『そこに住まう人』」の記憶だと考えている。それらの消失は、そのまま故郷を失うことを意味する。グッバイ、もう行けない場所。行かない場所。過去の記憶にだけある場所。まだ存在はしているけれど、そこにあるのは期限付きの未来だ。ときどき、ひどく心許ない気分になる。根無し草の自分は、どうにかこうにかひとりで生きていかなくちゃならない。いとこにだって、万が一のときは頼らざるを得ないかもしれないけれど、それでも頼りっぱなしじゃいられない。
そもそもずいぶん先に訪れるであろう未来のことより、まず目先のことを考えるべきだ。とりあえず大学は卒業したい。いやもっと目先のことだ、これから朝ごはんを食べて講義に出席するんだろう。布団から出なさい!服を着替えて!顔を洗って!どうにか生活をやっていく。やるぞ、飯を食う、身なりを整える、ちゃんと眠る……こんな文章を書いている場合ではない。しかしいまの私にとっていちばん大切なことはこれなんだ。生活に追われちゃいけない、かといっておろそかにしてもいけない。とりあえず、目の前のものをしっかりと見つめていきたい。そろそろ本格的にまずい気がするのでスマホを閉じます。読んでくださってありがとう、あなたもよい一日を!

東北の祖母の家からちょっと離れたところの川の下流にいた、とんでもなくでっけー鳥


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散文 2023/7/16




 照明が必要最低限しか点いていない薄暗い廊下で、メヌエットが流れている。バッハ作曲の一番有名なやつだ。母が息絶えた直後に、死後処置をおこなうため一度病室から出て待つよう看護師さんに指示されたのだ。父とふたりで、重苦しい空気の中、母が入院していた部屋の前で佇む。会話はない。真夜中のしんとした空間で、ただそれだけが響いている。ナースコールかな、と思ったけれど機械音はなかなか鳴り止まない。鎮魂歌だと思った。もちろん実際は、ナースステーションでなにかしらの役割を果たしているのだろう。しかしこのシチュエーションに誂えたかのような、明るすぎず暗すぎないおだやかな曲調が、私たちの心を映し出しているかのように錯覚させた。きっとこの先メヌエットト長調を耳にするたびに、母の亡骸を思い出すだろう。そう思うくらいには、あのとき流れる音楽としてはあまりに似合いすぎていた。


食べることが苦痛になりがちな人間もいる ──少食でうつで食に関心がないと、えらいことになる

 

そういう人間もいるのだ

 「食べることが苦痛である」。それってどういうことよ??というひとと、あ〜わかる、というひとの、世の中にはどちらが多いのだろうか。やっぱり前者なのかな。兎にも角にも人生は死ぬまで続くマラソンのようなもので、人間に生まれてしまったからには基本的に食べ続けなければ生命を維持することはできない。ぶっちゃけ生命維持に関してはどうでもいいようなところがあるのだけれど、食べないことによって発生する不都合がでかすぎるので、食事をがんばらざるを得ない。この話題に関しては、オモコロの加味條さんが書かれた以下の記事が最もわかりやすいと思っているので、私の文章は読まずにこれだけ読んでいただければ十分だと思います。

 緊急開催!少食はつらいよ座談会

 しかし私も「食べ=やや苦痛(になることがある)」ということについてインターネットで訴えたいので書きます。お付き合いいただける方がいらっしゃれば幸いです。

「食べる」という営み

 まず、「食べる」ということは単純に「食事をする」ということだけではなく、それに付随する文脈やそれに至るまでのプロセスも含めたところではじめて成立するものだと定義する。

 そこだよ、そこ!!!

治五郎先生の声が聞こえましたか?なんだし、と思った方は2019年大河ドラマいだてん〜東京オリムピック噺〜』を観てください。
話を戻すと、「食事をする」ところまでたどり着くためには、

①材料を買い、調理する
②調理済みの食品を購入する
③飲食店等に入り、メニューを注文する

という行為が必要になってくる。私はそもそも自炊ができないので、②が最も多く、③は金銭的に余裕があるときの選択肢だ。①はせいぜいお米を炊いたり、レトルト食品をレンジでチンしたりする程度しか行わない。まずこれらがめちゃでっかい壁になる。ただでさえ食に興味がないというのに、食事の選択に脳みそのリソースを割かなければならないのは、精神疾患持ちにとってはきつい。究極やばいときはウィダーインゼリー(もしくはそれに準ずるもの)と塩おにぎりくらいしか胃が受け付けないし、選ぶことに体力を削がれるので実質的にこれしか選択肢がない。
もちろん、調子が悪いときだと調理などもってのほかで、飲食店に入るとしても自分が食べられそうな・ある程度好みの・お手頃価格のメニューを選ぶことも困難である。
「選択/決定」という行為は脳みそにかなり負担がかかる。そのため使い始めてから2〜3年経過した格安Androidスマホのように、すべての動作がもっさりとした状態の脳では実行が難しくなってくるのである。 しかもほぼ確実に発生する店員さんとのコミュニケーションは、精神が終了しているときだと心理的にとてつもない負荷がかかる。セルフレジは本当にありがたい。現金が使えるセルフレジのことを心から愛しています。

なぜ、この人はこんな記事を書いているのか?

 こんな感じで手段はいろいろある。同じくその内容についても己でカスタマイズしていかなければならない。土日は同居している父に作ってもらえるけれど、平日はフルタイムで働いているうえ自宅から職場がめちゃくちゃ遠いので、時間的にも体力的にも父に手作りのご飯を用意してもらうことは不可能だ。よって一週間のうち5/7は完全に、三食すべて己の裁量で「なにを選び、食べるか」を決定しなければならない。これがどれだけ自分にとって負担がかかるか、実際に経験してみるまで理解できていなかった。かつては母が私たちの食のほとんどを担ってくれていたけれど、彼女はもうこの世にいない。本当によくがんばってくれたと思う。晩年の母は、「食べることは生きること」とよく言っていた。私と違って母はあんなに食べることが好きだったのに、どんどん食べられなくなってしまった。みるみるうちに痩せてしまった。母は病気の影響でそうなってしまったが、私は現在、単純に「自分で食事を用意する」ということへの経験不足と己の食への興味の薄さにより、極端な体重減少がとまらない。私もうつを患ってからゆるやかに痩せていったが、ここ最近の痩せっぷりはかなりまずい。実を言うと、BMI値が15.29(2023/7/5時点)だったのである。WHOによると、BMI16以下は「やせすぎ」、いちばん端っこにある項目である。つまり「これ以上はアカン」という国際的な基準をぶっちぎっているということだ。いくら人生で標準体重に達したことが一度もないといっても、ここまで来るとさすがの私も危機感を覚えた。せめて、もともとの「やややせ」まで持っていきたい。そう思って「食生活監視チャンネル」という名前のDiscordサーバを立て、入ってもらえるひとを募集したところ、2名加入してもらえた。

こんな感じで、私が一日で食べたものを報告するだけのチャンネルである。この記事のために再度体重を計って計算してみたところ、約一週間でBMI値が15.47(2023/7/12時点)に増加していた。これだけみると、たいして変わらないようだが体重自体はおよそ0.5kg増加している。このままいけば、単純計算で一ヶ月に+2kgの体重増加が見込める。
「Discordは既読もつかないから、パノプティコンの看守のつもりで入ってくれ」と言ったのだが、しっかりリアクションしてくれていて本当にありがたい。入ってくださったお二人によい報告ができるように、今後もがんばります。そう言いながらも今日は調子が出ず…ウィダー片手にこの記事を書いています……。謝罪……ッ!

低糖質とはなんだ?なめているのか?(そんなことはない)できる限り楽してカロリーを摂取したい人間もいる。ここにいるのだ。こんな人間もいるよ、ということを伝えたかったのです。仮にだれかに「もっと食わんか」と勧めたとして、相手に断られたら、それは遠慮ではなくほんとうに必要がない場合もあります。というかそっちがほとんどだと思う。「これ以上食べるのは苦行」という意思表示なので、「あ、そう?」とその手を引っ込めてください。よろしくお願いします。

ちなみに

今日の日報でも述べたが、会う人会う人み〜んなに「痩せた?」と訊かれてしまう。助けてくれ。私は気にしないのだけれど、たとえば摂食障害などで深刻に悩んでいるひともいるので、他人の体型変化にはむやみに触れないのが吉だぞい。それではみなさまごきげんよう

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