Taklamakan

ぐったりした日常の断片

散文 2023/7/16




 照明が必要最低限しか点いていない薄暗い廊下で、メヌエットが流れている。バッハ作曲の一番有名なやつだ。母が息絶えた直後に、死後処置をおこなうため一度病室から出て待つよう看護師さんに指示されたのだ。父とふたりで、重苦しい空気の中、母が入院していた部屋の前で佇む。会話はない。真夜中のしんとした空間で、ただそれだけが響いている。ナースコールかな、と思ったけれど機械音はなかなか鳴り止まない。鎮魂歌だと思った。もちろん実際は、ナースステーションでなにかしらの役割を果たしているのだろう。しかしこのシチュエーションに誂えたかのような、明るすぎず暗すぎないおだやかな曲調が、私たちの心を映し出しているかのように錯覚させた。きっとこの先メヌエットト長調を耳にするたびに、母の亡骸を思い出すだろう。そう思うくらいには、あのとき流れる音楽としてはあまりに似合いすぎていた。